【ストーリー】
詩歌に優れ学も深く、仙と尊ばれた李白。月を捉えようとして水に落ちたという彼は、実は月へと上って行ったのではないか…。中国の奇妙な小話の数々を、作者なりの解釈と表現力で再構築した絵物語集。まもなく、多くの人々が待ち望んだゲームソフト『MOTHER3』が発売となる。
だからというわけではないが、例によって本屋をうろうろしている時、新刊コーナーに並んだ「南伸坊」の名に自然と目が吸い寄せられた。南伸坊氏は、『MOTHER』シリーズのキャラクターデザインを手がけたイラストレーターなのである。
『MOTHER』をプレイした人ならわかると思うが、氏のイラストは独特だ。シンプルな線で何気なく描かれているのに、不思議と印象に残る。そして、一見可愛らしいように見えて、よくよく見ると奇妙なおぞましさをも備えているのだ。そんなところが最大の魅力でもあり、だからこそ『MOTHER』の世界観にもマッチしたのであろう。
この本は、そんな南氏が「中国古話」という強烈な個性を放つ素材をそれに劣らぬ奇天烈な個性でもって漫画化し、さらに独自の支店による解説文をつけた、まさに天の配剤というべき組み合わせの実現した一冊なのである。
以下ネタバレ含む
中国の古話というのは、ひとことで言うと「変」だ。
とにかく脈絡がなく、突拍子もない。どうかすると意味すらもないことが多い。「夜中に明かりをもった不審な二人組がいたので追い払おうとしたら実はそれは蝶々で、そいつに脇にひっつかれたら死んじゃいました」と言われても「…そうですか」という感想しか浮かんでこないではないか。
南氏は、そういう話をあえて考察しようとはしない。ただ純粋に「そりゃ変だろ」「納得いかねえな」と首をひねりつつ面白がっているのだ。無意味無秩序どんとこいである。
以前にも書いたように、私も変な話が大好きだ。ただ私の場合、つい意味を深読みしたり背景を推察してみたり、せっかくの話をこねくり回してしまいがちなところがある。
しかし、南氏の子供のような解説文を見ていると、そういう読み方はどうも損なのではないかと思えてきた。変なものは変。変だから面白い。人を面白がらせるために書かれた話なら、それを素直に受け入れれば良い。ちょっと目ウロコな気分を味わってしまった私である。
さて、本書は変な話がいくつも集められているわけだが、そのひとつひとつに感想を述べているわけにもいかない。そこで、南氏の漫画と相まって素晴らしい妙味を発揮している「耳中人」という一篇のみご紹介することとしたい。
簡単に説明すると、こんな話である。
導引の術(ある種の健康法)にはまった男が瞑想に励んでいると、いつしか自分の耳の中から「会ってもいいぞ」と言う声が聞こえるようになった。当初は無視していたが、ある時つい「会ってもいいな」と返事をしてしまった。
すると、耳の中から身の丈三寸ほどの小人が出てきた。目が合って声をかけようとした時、隣家の者が戸口をたたいた。その途端小人は大変動揺して、おろおろと走り回りだした。それを眺めているうち、だんだん魂が失せるような感じがして、それきり狂ってしまったのだった。
このラスト。別に悪いことをしたわけでもないのに、耳から出てきた小人が惑う様を見ていただけで狂ってしまうという理不尽もさることながら、南氏のイラストが比類なきインパクトで呆然とする読者にトドメを刺してくれる。
荒れ狂う波と風が寄せる崖の上で右手を天に掲げ、直立する男。先ほどまで福福しく穏やかだった面相は狂気に弾け、目は見開き舌が長く飛び出している。着衣からは電波のようなものが無数に尾を引き、男の背後へとたなびく。その上に「狂」の筆文字と、「それきりくるってしまったのだった」の一文が静かに添えられているのだ。
冷静になって考えてみれば、体験した張本人が狂ってしまったのに、彼自身しか見ていないものをどうやって伝聞したのだという疑問がわいてくるが、南氏のイラスト一枚でそんなものは吹っ飛んでしまう。見た者はそのものすごい説得力に「なるほど狂っていますな」と納得するしかない。
この他、表題の元となった「李白捉月」等は、「耳中人」とは対照的に大変叙情的で美しい一篇だ。有名な李白溺死のエピソードに関する南氏のロマンチックな解釈も味わい深い。「変」ばかりを強調すると作品全体の価値を誤解されてしまいかねないので、ここでささやかにフォローしておく。
私同様変な話を愛する人、中国の美しい情景に憧れる人、そして『MOTHER』のキャラクターになぜか心惹かれてしまう人等に、ぜひ一度手に取っていただきたいと思う。