前作『マルドゥック・スクランブル』が気に入り、その時既に発売されていた『マルドゥック・ヴェロシティ』を購入したのは結構前のことだ。
が、なかなか読み始める気が起こらず、部屋の隅に長く積み上げることになってしまったのは、これが『スクランブル』の前日談であることを知っていたからだ。
悲しい結末に終わるのが明白な物語を読むのには勇気が要る。だいたい、私は『ヴェロシティ』で主人公を張っている『スクランブル』の敵キャラ・ボイルドをさほど好きではないのだ。ウフコックに辛い思いをさせやがってこのやろうめが、というのが正直な印象だった。
ところがいざ読み始めてみると、これが『スクランブル』を上回る重厚さ、力強さ、切なさを備えた物語だったから参る。そして読み終える頃には、ボイルドに対する印象も手のひらを返したように変わってしまっていたのだ。
以下はネタバレを含みます。
『ヴェロシティ』は、全編を通してボイルドの視点から描かれている。意図してのことなのかどうか、「=」や「/」を多用したエルロイ風の文体が無口でひたすら軍人気質の彼とシンクロしていて、読みにくいのに何故か読みやすい。
過去、同じ宿命を背負う仲間たちと共に"楽園"を出て、自らの有用性を証明するため「スクランブル0-9」の担当官となったボイルドは、『スクランブル』の頃からは想像もつかないほど表情豊かだ。
笑うし、怒るし、泣く。最高の女と出会って恋までする。無口・無愛想・無表情は変わらないが、あんな冷たい兵器のような男ではなかったのだ。
そんなボイルドが相棒のウフコックや仲間たちと力を合わせ、事件に挑む様子は痛快だ。またこの仲間たちが公安9課かX-MENかサイボーグ009かといった勢いの面白人間集団で、そんな連中が繰り広げるバトルシーンはもう「やべえこれ燃える」の一言に尽きる。
しかしそんな燃えストーリーの影には、不吉な兆しが潜んでいる。
かつて犯した罪のフラッシュバック。誤爆の瞬間に感じてしまった快楽への罪悪感。"無垢の良心"たるウフコックへの執着と恐怖。
気のいい仲間たちにすっかり感情移入した頃に、物語は一気に破滅へと向かって転がり落ちていく。街を牛耳る者らのエゴによって知らぬ間に追いつめられ、櫛の歯が抜けるように命を落とす仲間たち。一人死ぬたびに生まれる虚無は、確実にボイルドと読者の心を覆いつくしていく。
そして虚無が臨界点に達した時、ボイルドはとうとう"兵器"としての戻れない一歩を踏み出してしまう。
ボイルドの暴走の真実。確かにウフコックを裏切り、傷つけた行為。しかし、ほかならぬウフコックを殺させないためには、あれ以外どうすることが出来ただろう。
救いはどこにもなく、全てを読み終わった時に残るものは虚しい焦げ付きだけ。にも関わらず、焼け野原で青空を仰ぐようなこの爽やかな読後感はいったいなんなのだろう。もしかすると「なにもかもが"ゼロ"に帰した爽快感」なのだろうか。
とにかく、読んだ者の心に必ず何らかの形でガリガリ傷痕を刻んでくれるパワーを持った作品である。私は興奮冷めやらず、思わず『スクランブル』を再読してしまったりしているが、案の定初読時とは全く違う印象で読めてなんとも新鮮だ。どちらも未読であるなら、あえて『スクランブル』を先に読んでみるのも面白いかもしれない。
それにしても、いずれも際立った個性を持つ登場キャラたちの中で、09メンバーと激闘を演じた変態殺し屋集団「カトル・カール」のインパクトはちょっとすごい。以下に挙げる彼らの決め台詞を見てちょっとでも心を動かされたなら、それだけでも本作を手に取る価値があると断言する。
「マンマ、マンマ、マンマ、キエエエエエエ!!」
「いくよいくよ! いくよいくよ! いくよいくよ!」
「カリカリガリガリ! カリカリガリガリ!」
「おかあああああさん! おかああああああさん!!」マルドゥック・ヴェロシティ <1> (AMAZON)マルドゥック・ヴェロシティ <2> (AMAZON)マルドゥック・ヴェロシティ <3> (AMAZON)