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「ちょっと待ってぇ……!」 明るい声に振り返ると、笑顔のアカバネが息を切らせて駆け寄ってきた。 場所はマンション敷地内の駐車場。植え込みの潅木の影が深いが、ブルーの夜間照明が車のまばらな駐車場を、水族館の館内のような色に染めている。例によってアツマタに米俵よろしく担がれて運ばれた僕は、タカツキの車にようやくたどり着いたところだった。 「いい画は撮れたか、アカバネ?」 アカバネはプラスチック製のディスクケースを、恭しい手つきでタカツキに手渡した。 「はい、画も音声もバッチリ撮れてます。複製のほうはアツマタに渡しておきますんで」 アカバネが頷きかけると、僕の横でアツマタがいかつい顎を引いた。 「よくやった、アカバネ。今日はもう帰って休め。アツマタ、お前も今日は帰っていい。二人とも帰り道は『後ろ』に気をつけろ――いいな?」 「はい、ご主人様……!」 アツマタとアカバネの声が見事に重なる。落ち着いたアツマタの声に比べ、アカバネのほうはやけに弾んだ声で、心なしか頬まで赤く染めている。 タカツキをご主人様と呼ぶということは――アカバネもアツマタや僕と同じ……? 「タツミ、行くぞ」 タカツキは呆然としている僕を促して、自分はさっさと車に乗り込んでしまった。僕ものろのろとドアを開けて、恐ろしくゆっくりと乗り込んだ――身体がとても重い。 ぐったりとシートにもたれた時、コンコンと窓を叩く音がした。アカバネが僕を窓越しに見下ろしている。窓を開けるとアカバネはタカツキに軽く頭を下げ、続いて僕に名刺を差し出した。気のせいか、顔つきや印象まで変わっている。 「すみません、さっき自己紹介忘れちゃって。何時でもいいんで、携帯に連絡ください」 「携帯……」 名刺には、『ホストクラブ・夢胡蝶《ユメコチョウ》、代表取締役・赤羽根薫《カオル》』とあり、裏には走り書きらしい携帯番号が記されていた。 「表のほうは業務用なんで、裏のほうにかけてください。そっちが俺のプライベートナンバー」 アカバネはとっておきの秘密を打ち明けるみたいな、きらきらした眼で僕を見ている。 「それじゃ……リョウ様、タツミさん、お帰りはどうかお気をつけて――」 アカバネは慇懃に45度のおじきをした。それを受けてタカツキが窓を閉めると、アカバネは愛想よく手を振りながらアツマタと並んで去っていった。 「アカバネに気に入られたようだな、タツミ」 「あの人も……タカツキの下僕だったのか」 問いには答えず、タカツキはいつのまに取り出したのか、DVDカムの画面を眺めている。 聞こえてきたのはクロサキと僕の声だった。しばらくして僕のイッちゃった笑い声――さっきアカバネに手渡されたディスクケースには、このDVD-ROMが入っていたらしい。 「まさか……あれ、全部録画していたのか?」 「そうだよ、一部始終だ……よく撮れているなぁ。アカバネはこれが副業だから、いい腕をしているんだ」 確かにアカバネは撮影していたけど、さらにDVDに焼き直していたのか――素早い。 「それ……どうするんだよ。クロサキさんを脅すのか?」 「――脅迫は犯罪だ。あんな小物のために俺が手を汚すと思うか? くだらない」 ごもっとも。それにしても、黒崎グループのご令息相手に『小物』とは――。 「携帯の画像見せた時のクロサキの反応を覚えてるだろう? あの男はあれでも頭が切れるから、何も言わなくても俺に首根っこを押さえられたことは充分に理解している。まあ、転んでもタダでは起きないような男だから、コイツは一応保険として残しておくとしよう」 タカツキは淡々とそう言って、DVDカムをグローブボックスに放り込んだ。続いて苛立たしげにギアを入れると、およそらしくない雑な運転でマンションを後にした。 真夜中――帰り着いたのはタカツキのマンションだった。 タカツキは部屋に入るなり、キッチンの冷蔵庫からVOSS《ボス》のボトルを持ってくると、リビングに立ち尽くす僕に一本手渡して、自分はグラスに注いで一気に飲み干した。 「……怒っているのか、タカツキ?」 僕がおずおずと訊くと、タカツキは「ふん」と鼻を鳴らす――機嫌が悪い証拠だ。 「俺の下僕を手荒に扱ったことが許せん。クロサキがお前にビンタしていた時には、俺がクロサキを殴りたかったんだが……アカバネが高感度カメラで撮ってたんでな。この先クロサキの動きを封じるにはネタが必要だったし、あの時は撮影を優先させるしかなかった」 痛かったか? と、タカツキは物憂げな心配顔で僕を見る。 「へ……平気だよ。モリカワ君の尻尾ビンタよりはマシだ」 本当はモリカワ君の尻尾ビンタのほうがクロサキのそれに比べて痛くはなかったのだが、僕は珍しくタカツキに心配されたことで動揺していた。話をそらそうと話題を探す――そうだ! 「クロサキに誘われたって、どういうことだよ?」 「そのままだよ。食事に行こう、飲みに行こう、部屋に行こう。食事以外は断ったが、ね」 そうじゃなくて、と苛立つ僕に、タカツキはソファーに座ってすぐ横を叩いた。ここに座れという意味――僕は渋々腰を降ろした。ひと息つき、タカツキは話し始めた。 「――クロサキはハルミの元婚約者なんだ」 「え?」 「俺が今回の……クロサキのたくらみに気づいたのは、ハルミに相談されたからなんだ。クロサキという男は、男にも女にも目がなくてね。いわゆる……」 聞くなり僕はタカツキの顔を見つめてしまった――今なんて言ったんですか、ご主人様? 「バイセクシャル。男も女も大好きなんだ、あの男は。だから、俺のことも誘ったんだよ」 僕は納得していいものかどうか迷うが、つまらなさそうにタカツキは続ける。 「ハルミは自作の発信機を相手につける困った癖があるが、それは相手のことを心配しているからだ。だが、クロサキは違う。相手のことを徹底的に調べ上げて監視するためだ」 クロサキがバイセクシャルだと知ったハルミ嬢は、タカツキに相談を持ちかけた。 ――事情は察しているつもりよ。 折りしもタカツキの会社とクロサキ・プロダクツとの間で経営統合、合併に向けた話し合いが進められていた。阻止したいクロサキは、タカツキのことを徹底的に調べ上げた。戦いに勝つためにはまず敵を知れ――戦略の基本だ。 ところが、タカツキには脅しに使えそうなネタが出てこない。その一方でクロサキは、意外な人物がタカツキと接点を持っていることを知る……それが僕だった。 それまで何度も打ち合わせで顔を合わせていた営業の一人である僕が、タカツキと少なからず関わりがあると知ったことで俄然クロサキは興味を抱いた。そしてプロを雇って僕のことを調べさせたのだ。 「……じゃあ、ハルミ嬢が仕掛けたのは、ペンシル発信機だけなのか?」 「お前の部屋の盗聴器、携帯のトレース、シール・トレーサーはクロサキが雇ったプロが仕掛けたものだ。ハルミはプロを雇うことでクロサキに感づかれることを恐れていたから、自作の発信機をお前のペンシルに仕込んだんだ。それであの時、お前が喫茶店の近くにいるとわかった」 ――悩みがあるなら、ここに来い。 つまり、あの時点でタカツキは僕が悩んで歩き回り、喫茶店の近くまで来ていることを知っていた――ハルミ嬢と連携していたからだ。それでも僕の中には疑問が残る。 「どうして、ハルミ嬢はそんなことを?」 「元よりクロサキは、ハルミとの婚約に乗り気じゃなかった。ハルミがクロサキの性癖に気づいたのがいつであれ、いずれ婚約は解消されていたはずだが……ハルミはクロサキ・プロダクツの経営統合の話を聞き、しかもそれを進めているのが俺の会社だと知って、まず最初にお前の心配をしたんだ」 「僕の……?」 僕はぽかんと口を開けてしまう。ハルミ嬢に心配されていたなんて意外だった。 「ハルミが外堀を埋めて兵糧断ちをしていたのは、ひとえにクロサキをお前に近寄らせないためだ。多少はクロサキに嫉妬してほしい気持ちもあったようだが、俺とお前の関係については……ハルミはクロサキと似たような誤解をしていた。つまり、お前は俺の――」 「言わなくていい。なんとなくわかる。じゃあ、僕のことが好きとか、そういうことじゃないんだな。熱っぽい眼で見られたり、怖い眼つきで睨まれたりしたから、てっきり……」 「ハルミは近視だからな。遠くの物を見ようした場合、眉間に皺を寄せないとよく見えないらしいし、逆に近すぎても眼が疲れて涙が出やすくなるんだ。眼つきはそのせいだよ」 ほっとする反面、寂しいような複雑な気持ちだ。そんな僕を見てタカツキが苦笑する。 「つまり、自社の吸収合併を阻止したいクロサキが、俺のことを調べ上げてお前が浮上し、同じくそれに気づいたハルミが独自にお前の動向を監視していた。お前が俺と深い関わりがあると思っていたのが理由だが、ハルミが本当に心配していたのは……お前の貞操だったんだよ」 「て、貞操……?!」 「眼鏡をかけたお前みたいな顔のリーマンは、BLゲームじゃ鬼畜な上司に食われると相場が決まってる……そう言っておいたじゃないか。実際『食われ』かけただろうに」 ――危険なことになりますよ。 今さらながらに僕の背筋に悪寒が走った。クロサキの『真夜中の奴隷』という言葉と、あのくすぐり攻撃の真の意味を理解したからだった――ぞわぞわぁっ! 「――タツミ、眼鏡はどうした?」 「ビンタの時にどこかに飛んでいったよ。他のことでいっぱいっぱいで……忘れてた」 僕は眼鏡を押し上げようとして、意味がない動作と気づいて手を引っ込めた。 「今回の件については……大体わかったよ。これですべて解決なのか?」 そうだな、とタカツキはうなずく。 「後は俺の会社がクロサキ・プロダクツを吸収するだけだ。経営統合はするが融和措置をとるし、元々クロサキ・プロダクツは芸能プロダクションと連携してメディア関連全般の人材派遣を引き受けているんだが、その一方でソフトウエア開発の方面ではかなり評価の高い優秀な技術者集団を抱えている。俺の会社のソフト開発部でいい仕事をしてもらうよ」 「そうか……タカツキの会社はPCゲームの製作もやってたよな?」 「今の売れ筋商品は女性向けのBLゲームなんだ。一時、クロサキと張り合ってたのさ」 そのゲームがどういうものか今はなんとなくわかる――リアルな体験をしたもんな。 「大丈夫か、タツミ。顔が赤いぞ?」 「うあっ!……ちょっ……ごめん……触らな、いで……く、れ……」 タカツキの手が僕の頬に触れた瞬間、強烈な電撃が脳天に突き上げた――なんだ、これ? 「そういえば、クロサキに何か飲まされていたな。あれが今頃効いてきたんだろう」 タカツキは余裕の笑みで「ふふん」と鼻を鳴らした。 「……な、なんか……身体が、変……くうっ!」 僕は情けなくソファーに身体を預けた。タカツキは涼しい顔で僕の顔を覗き込む。 「うーん。本当に悩ましい声を出すなぁ、タツミ。声だけで相手を悩殺できるぞ?」 「こんな時に……」 僕はゼイゼイ言いつつ、タカツキを睨んだ。全身が熱く、背筋と腰の辺りが気持ち悪い。 「――寝室に行こう」 と、タカツキはあっさりと言った。 「もう放していいぞ……ん?」 寝室にたどり着いてタカツキが手を放しても、僕はタカツキを放すことができなかった。腕の中の柔らかなぬくもりに、自分でもどうしようもないほど心臓がドキドキしている。 ぎゅっとタカツキを抱きしめると、何とも言えない満足感と甘美な感触が――。 「やれやれ、そういうクスリなのか……クロサキの奴め」 呆れたようなため息をつき、タカツキは僕を手荒く突き飛ばした。僕はベッドの上に、だらりと大の字に伸びる。そんな僕をタカツキの人形顔が見下ろした。 「タツミ、身体が辛いか?」 全身は熱く火照っているのに背筋には悪寒が走る。息遣いまで荒くハアハア言っていて――なんだか駆け回った後の犬のようだ。身体が疼くというのは、こういう感じなのか? 「つ……辛い……」 「俺が必要か……?」 タカツキの声はしっとりと色っぽい。僕は期待に身体を震わせた――なんの期待だか。 「……必要……かも……」 優しげなタカツキの微笑みは、そっと僕の髪を撫でるなり嗜虐的な冷笑に変わった。 「俺が下僕なんぞを思いやるか、バカめ。辛いなら自分でどうにかするんだ。面倒だから今晩だけは泊めてやる」 タカツキはそう吐き捨ててベッドから離れていく。ドアの手前で僕のほうを振り返ると、タカツキは思い出したように付け足した。 「――シーツは汚すなよ、タツミ」 鬼、悪魔、人でなし! 閉じたドアに恨めしげな視線を送り、僕は熱に浮かされた身体をもぞもぞと動かした。情けなさと恥ずかしさで朦朧としつつ、僕は一人心の中でつぶやく。 下僕道は、かくも険しい――。 ―――第1部幕切れ・第2部に続く――― |
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