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うちの父親はイーストウッドに似ている。 若い頃、高倉健にも似ていたと思う。 男前である。 でも性格はどちらにも似ていないフッツーーのオヤジである。 しかもものすごくマジメで不器用である。 そのへんは“ちょっと意味合いは違うが”健さんと似ている。 「健さんにそっくりじゃねぇ」と言うと、 父はホヘヘと微笑みながら 「うれしいこと言うてくれるぎゃあ」 と、ものすごく喜びます。 単純です。 ちなみにボクは母似なので男前ではありませんw (母が不細工って意味じゃないゼ!) さて、イーストウッド最高傑作との誉れも高い「グラン・トリノ」。 最近のイーストウッドの作品が傑作揃いなのは疑いようがないんですが、 どうも自分は感覚的に好きになれなかった。 テーマも後味も重たく、淡々として冷徹で、どこか突き放したような演出が “いいのは分かってるけど”肌に合わなかったようだ。 硫黄島2連作といい、 ついこないだ「チェンジリング(こちらは未見)」といい、 もう相当な高齢だというのにこんなに短期間に次々と、 しかもどれもが高い水準を持った傑作を連発する創作意欲は 毎回驚かされる。 そしてこの「グラン・トリノ」。 ◆ 話は葬式のシーンから始まる。 妻に先立たれた頑固ジジィのウォルトは 過去に朝鮮戦争に従軍の経験があった。 年老いた今、人とのよりよい接し方が分からず、 周囲の人間に憎まれ口を叩いては付き合いを拒絶している。 息子や孫たちもそんな彼にどう接して良いか分からず、 頭にあるのは彼が死んだ後の遺産のことだけだ。 この頑固ジジィの隣家に住むタオという少年と ある事件をきっかけに付き合うハメになるが、 この少年は従兄弟の不良グループによって悪の道に引き込まれようとしていた。 ウォルトはタオとその家族との触れあいを通じて、 徐々に孤独から解放され、 それと同時にタオを“一人前の男”に育ててやろうとする。 ◆ グラン・トリノとは劇中でウォルトが大事にしている70年代の車の名前。 これ自体には見せ場はないが、頑固ジジィのウォルトが長年勤めていたフォード社製であることからも、 ウォルトから少年タオに受け継ぐ“精神”みたいな使われ方をしている。 内容はいつもよりシンプルで、説教臭さもなく、しかも西部劇調である。 最近の監督作に比べ、東洋の少年タオとのバディものの楽しさがあり、 全編にハートウォーミングな笑いが多く後味は悪くない。 役どころとしては「許されざる者」や「ミリオン・ダラー・ベイビー」の彼を連想するシーンもある。 シンプル。 イーストウッドの映画はどれも演出も音楽もシンプル。 それでも一本ピンと張りつめた糸が張ってありダレない。 この「グラン・トリノ」を観ながら、 ボクが子供の頃にあれだけ若くてスラッとしていたイーストウッドが 今では顔中シワだらけ、声量はか細く、 すっかりヨレヨレの爺様になってしまった。 最近の彼の出演作品群を観るとそれだけで猛烈にもの悲しい。 いつ逝ってしまってもおかしくない年齢なのだ。 しかし、それはつまり自分も歳を食ってしまったという意味でもあり、 二重の意味で、猛烈に悲しい。 しかしもし、今逝ってしまったとしても これはまさに“有終の美を飾るにふさわしい”作品に仕上がっていると思う。 (もちろんもっと長生きしてほしいけど〜) これはボクも好きだ。 「ミリオン・ダラー・ベイビー」で、新人の女ボクサーに向かって 「これはこう叩くんだ」と言ってパンチングボールをタットコ叩いて見せるシーンや、 この映画でチンピラ達に“指のピストル”を向けて、 「刃向かっちゃいけない者が現れたらどうする? それはオレのことだ」 と凄むシーンなどは、彼の経歴があるからすごく説得力があるのだ。 そして今ではすっかり年老いてしまった男が持てる物を 前途有望な若者に託して去っていく姿は そのまま現実のイーストウッドの姿を投影していて、 もうそれだけで猛烈に感動的だ。 |
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